- iketomoyoga
たい焼きと震える文章
たい焼きは皮が厚いのが好き?薄皮?
ブログをもっと上手に書けるようになりたくて
先日受講した「震える文章講座」の時に、頭にたい焼きのイメージが浮かんできた。 あんこが本音だとしたら、薄皮から熱々のはみ出たあんこ(本音)ほど
おいしい(面白い)よね。
そんなことを思った。
自分はどうかな?
自分が書く文章は、なんか暗い。
甘さがたりない、生煮えのあんこのよう。
自分の内側を掘れば掘るほど暗さがあふれ出る。
それを払拭したくて
文体がちょっと強くなってしまう。
「書いた文章を読んでみて」
・・・無理。絶対泣く。
3月21日に開催するイベントについて書いた文章は
開催するワクワクを書いたつもりが
自分の名前を冠にしたイベントで
人が集まるのか・・・?っていう怖さと自分への否定が、出ていた文章になっていた。
それを隠したくて強めな文体になって、泣かないように感情を抑制して読んだら
「もう一回読んでみて」
泣かせるために言ってるよね?
感情を開かせるためだとわかっていても
も~無理。絶対無理。泣く・・・ けど人前で泣くのも嫌だ~!
号泣寸前で何とか読んだ。
自分にとって文章を書くという事は
押し殺してきたり、我慢してきた感情の蓋を開ける作業だ。
だから、開けるたびにどろどろとした感情が溢れてしまう。 人前で泣けないのも、感情を押し殺す癖がでてしまう。
講座で文章を書いていた時に出てきた感情は
「やりたい」
と思った事を、親に否定されたり、先送りにされて我慢し続けた感情。
「やりたい」
けど、震えちゃうのは、
どうせ否定されるだろう、
どうせうまくいかないだろう、
という思考パターンが自分を怖がらせているんだな、という事に気がついた。
こうやって文章にしてみると
どろどろとした中に答えが見つかってくる。
ひとり文章セッションみたいだ。
「小豆の声を聴けぇ、何してほしいか小豆が教えてくれる」
今の朝ドラで、小豆を炊く時に言う
「あんこのおまじない」
言い換えるなら
「心の声を聴けぇ、何をしてほしいか心が教えてくれる」
おいしいあんこを炊くように
心の声に正直に、自分の言葉を紡いでみよう。
いつか、薄皮から熱々のあんこがたっぷりはみ出た、おいしいたい焼のようなブログが書けるように。